歌花史庵 かかしあん

耕すひと

昨日書いた自称乞食のおじさん。
彼の話はなかなか面白かったので、書き記しておこうと思う。
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朝の8時半ころ、河原の土手から青い空に浮かぶ白い月を撮っていたら、突然声をかけられた。
「何を撮ってる」
咎めるような口調ではないが、つっけんどんではあった。
見ると、古びた自転車にまたがり、垢じみた服を着た白髪の男。

自転車の荷台には大きなスコップを積み、ハンドルにぶら下げたレジ袋にはじょうろ。
野良仕事に行くのは一見して判ったけれど、百姓か、ホームレスか。

警戒しながら、あそこに月が浮かんでるんです、と答えた。

耳が遠いのか、何やら判らないやり取りを繰り返したが、ようやく朝なのに月が浮かんでいることを理解したようだ。

目が良くないらしい。

「あれは“ちゅき”か。雲に見えた」
納得すると、顔をくしゃくしゃにして笑った。

おじさんはそれから、あたしのことを訊き始めた。

すぐそこに団地があり、人通りはないけれど、誰が聴いているか判らない状態。

それでも色々、正直に答えた。
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夫の出張について来て、甲府に暮らしてひと月目、もうひと月足らずで東京に帰る事。

東京の家は池袋と答えた。
曖昧にしたかったというより、詳しく話しても解らないだろうと思った。

「東京はマンションか。おとうちゃんはなにしてる。おとうちゃんも池袋か。
会社は池袋か。大きいか。兄弟は何人か。男か、女か、仕事は何をしているか」

そんな事が、おじさんの興味の対象だったらしい。
出来る限りごまかさず、解りやすく答えた。

おじさんのおとうちゃんは、新宿で電車の船頭をしていたと云う。
船頭とは、車掌か、新宿と云うからには駅員か。

年で仕事をやめてからも、恩給で楽をして暮らし、電車に乗る時はただで幾らでも乗れたと云う。
でも死んだ、80か90で死んだと言った。

駒込に行ったことがあるとも言った。
姪御さんが住んでいるらしい。
駅からすぐの所に住んでいて、子どももいて、なんの仕事をしているのかは知らないが、その家に遊びに行ったのだと言っていた。

今は何をしてるか、と懐かしげにつぶやいたあと、もう死んでるな、と続けた。

おじさんの姪御さんなら、まだ生きている年だと思うけれど。

そのうちお兄さんの話になった。
長野で役人をしていたと云う。

この方ももう亡くなったようだ。
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「わいが中学の時に死んだ」と言っていたので、年が離れているか、姪御さんがそのお兄さんの子どもだとしたら、中学か高校を出て勤め始め、結婚して子どもが出来て間もなく亡くなったと云う事か。

でも、死んだのは年だから、とも言っていた。
中学の時に亡くなったのは、伯父か叔父かも知れない。

おとうちゃんの話はよくしていた。
駅をぐるっと回る電車、つまり山手線に乗せてもらった事、千葉の方まで連れて行ってもらった事。

よほど楽しかったようだ。
話している時の顔はちっとも楽しそうではなかったけれど、忘れられない大切な思い出であることは理解出来た。

あたしの両親の事に話が及んだ。

例によって細かい事は通じないと思ったので、父は先生、と答えると、驚いたようだった。
「先生は中学か、高校か」
「高校です」
「おかあちゃんも勤め人か」
声楽家と言っても解らないかと思い、ピアノの先生、と答えると、「ピアノの先生か!」
「お前のおかあちゃんピアノの先生か!」
「ピアノはいいなぁ!おとうちゃんは学校の先生!おかあちゃんはピアノの先生!」
そんな事を繰り返していた。
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「おとうちゃん(この場合、まーさんの事)は高校か」
高校を出て働いているのかと云う意味。
大学を出ている、と答えると、「大学か!大学出て働いているか!」
とまた繰り返す。
「お前は」と訊かれたのであたしも大学を出たと答えると
「ふたりとも大学か!それはすごいな!いいひとつかまえたな!」
と、お世辞ではなく、顔をくしゃくしゃにして笑って言っていた。

その直前には、子どもはいないと言うと、子どもだけ作って別れちまえばいい、と唐突な事を言い出していた。
別れる理由などもないし、そんな話は一切していないのだけれど、女は子どもを作って、夫と別れてしまう方がいいと思っているらしい。
何か理由があるのかと思い、仕事の話をしている時に、「おじさんは?」と尋ねた。

元の職業は言わなかったが、小指を立て、これで失敗して乞食になった、と云う。

奥さんとお子さんもいたそうだけれど、愛想を尽かして出て行ったそうだ。

なんとなく、会えなくてもどこかで暮らしているなら、それでいいんじゃないかと思った。

子どもにしてみれば、見たくない親の姿かも知れない。
でもおじさんは、服こそ垢じみているけれど不潔と云うほどでもなく、乞食と言ってもお喋りする事以外には何も乞わず、違法とは言え、河川敷に畑を作って自分で生活している。

生きることを放棄はしていない。

この素性を受け継いだお子さんは、きっと強いに違いない。
感謝しろとは言わないが、おじさんが今でも妻子の事を忘れずにいるのは確かで、女とはそう云うものと、経験上思い込んでいる素直なひとなのも確かだ。
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おじさんと話しながらゆっくり歩いている間、三人の人とすれ違った。
自転車に乗ったおじいさんふたり、中年の上品なおばさまひとり。

みんなおじさんと挨拶していた。

その時になってようやく解った。


このおじさんはきっと、この川原では有名人に違いない。

人懐っこく話しかけ、屈託なく色々な事を話し、尋ねる。
まともな応対をするひととは、すぐに顔見知りになってしまうに違いない。

けれど、あたしのような若い女は知り合いにはいないらしく、おまえは若いだろ、と何度も繰り返し、あとひと月で「池袋」に帰る事を、多少は惜しんでいるようだった。

話し続けて少し疲れてきたところ、「お前はどこに行く」と突然尋ねられた。

土手を民家のある方に降りて、田んぼの間を歩いてみようと思う、と答えると、それならそこから降りればいいと、けもの道を指差した。
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車の往来が多い目の前の鉄橋を、「中央道」と言い、そこまで行けば田んぼの向こうに見える道とつながっているから、ぐるっと回って、迷ったら直角に曲がれば川に帰って来られると教えてくれた。

しかし、目の前の道は中央道ではない。

どちらでも構わないけれど、そんな勘違いをしている事で、初めておじさんが可哀相に思えた。

けもの道を慎重に下ろうとすると、おじさんは立ち止まって、顔をくしゃくしゃにして笑い、いつまでも見送ってくれていた。

また川に来るか、また会おう、そんな事を言っていた。

お喋りにつきあった事が嬉しかったのかも知れないし、友達が増えたようで嬉しかったのかも知れない。

正直なところ、まーさん以外、話す相手もいない甲府での生活、おじさんと話すのは結構楽しかった。

自分にも他人にも甘い、家族には迷惑かも知れないけれど、憎めないひとだ。
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おじさんが、先生と呼ぶひとの話もしていた。

川の南に見える山の連なりを指差し、「あの山をずっと登る先生」がいると話していた。
大きい蛇やら、怖いものがいるので、夜中の3時には寝てしまうと云う。
おかしな話だ。
「あっちからあっちまでテントと電話を持って歩いてる」と言う山々は、歩いて行ったら半年もかかりそうな長い山脈だ。

途中で迷子になったこともあったらしい。
電話がつながらないところもあるけれど、つながるところからヘリを呼んで、5万か10万を払って救助してもらったそうだ。

お前も山行くか、と訊かれたので、遭難するような所には行かない、と言うと、すぐそこの山ならだいじょうぶだ、おとうちゃんに車で連れてってもらえばいい、おとうちゃん車か?毎日連れてってもらえ、と楽しそうに話した。
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それからあたしは、「中央道」までは行かず、田んぼの横を通って大きめの通りに出た。
そこからならなんとなく自力で帰れそうだったので、住宅街の合間を縫ってアパートに帰り着いた。

もう一度会いたいとは思うけれど、正直なところ、どう接していいのか判らない。

恐らく、世代も人生も違うあたしの話は、おじさんには面白いのではないかと思う。
けれど、誰が聴いているか判らない河川敷で、耳の遠いおじさん相手に、自分の事を話すのは危険すぎる。

本当は、おじさんの姿は何度か見かけたことがあった。
黙々と、河川敷の畑で野良仕事をしていた。

すぐ近くには、この川原で作物を育てることを禁ずる旨の看板があるが、きっと誰も咎めないに違いない。

字が読めないのかも知れない。

おじさんは東京はいい所だろうと何度も訊いてきたが、この町の方がいい、とその度答えた。

これは半分嘘だ。
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ここは廃屋の並ぶ住宅街で、田舎の風景も、活気も、古き良き時代の面影もない。
昨日は嘘をついてしまった事が、多少ひっかかっていた。

けれど今は思う。
おじさんは都会では暮らせない。

これ以上川が汚れず、おじさんには健康で長生きして欲しい。
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今日のほうとう記は、のちほどアップします。
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by ekoekolove | 2009-09-11 17:52 | 繪子のお散歩